はじめに
脳性麻痺のトランジションの方のリハビリをやっていて、よく聞くのは、「小さい頃は手足がそれなりに動かせていたのですが、成長するにつれて動かなくなってしまいました」というご両親の悲しそうな言葉です。
そして多くの親御さんは、それは脳性麻痺の症状だから仕方がないと、なかば諦めています。
でも脳性麻痺のお子さんが、大人に成長するにつれて、徐々に手足が動かなくなる現象は、麻痺の悪化や進行ではないのです。
この現象は、いわば脳の運動学習の特性に基づいた、運動学習の問題による悪循環の進行であって、例えるなら、運動不足を続けると、筋力が衰えて動けなくなるような現象と同じです。
脳に適切な運動学習を行わせないことで、脳の神経細胞の活動が衰えてしまうのです。
そして適切なニューロリハビリを行うことで、その麻痺の進行を食い止めるだけでなく、手足の運動機能を大きく高めることができるとしたら。
あなたはご自分のお子さんに、それを試してみたいと思いませんか?
今回は脳性麻痺のお子さんが、成長するにつれて手足の麻痺が進行してしまう原因と、それを予防するニューロリハビリの方法について解説してみたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
運動学習と脳の可塑性について!
あなたは「脳の可塑性」という言葉を聞いたことがありますか?
この「脳の可塑性」とは、粘土をこねると、その形が変えられるように、脳の機能も生活習慣や周囲の環境に影響を受けて、ドンドン変化していくことを言います。
例えば、あなたが「カメレオンの飼い方」に関する本を読んで勉強した場合、本を読む前には知らなかった、カメレオンの飼育方法について、新しい知識を得たことになります。
またあなたが生まれて初めてスキー教室に参加した場合はどうでしょうか?
スキー教室に入る前には、スキーで滑ることとは想像でしかありませんでしたが、今では上手にスキー板の上でバランスをとって、ゲレンデを滑ることが出来ます。
ここでもあなたは、新しい運動機能を獲得することが出来ましたね。
あなたが生まれた時には、カメレオンの飼い方も、スキーの滑り方も知りませんでしたから、ここで、脳は新たな知識や運動機能を獲得して、変化したことになりますね。
これが「脳の可塑性」という現象になります。
そしてこの脳の可塑性によって、新しい知識や能力を得るためには、脳が学習することが必要になります。
特に脳が新しい運動機能を獲得したり、その能力を高めて行くためには「運動学習」を行うことが必要なのです。
そして小児ニューロリハビリでは、この「運動学習」が一番重要なポイントとなります。
では「運動学習」とは、いったいどんな事をいうのでしょう?
運動学習のしくみについて!
赤ちゃんが、生まれて初めて、自分でカップを持ってミルクを飲もうとするとき。
大体は失敗して、カップを上手に持てずに、こぼしてしまいますね。
しかし何回もカップを倒しながら、繰り返し挑戦する事で、いつの間にか上手にカップを持って、ミルクを飲めるようになります。
この繰り返し挑戦する過程で、赤ちゃんの脳内で起きているのが、運動学習なのです。
赤ちゃんがカップに手を伸ばそうとした時に、まずはじめに赤ちゃんの脳内で「これくらいで上手く持てるかな?」と予測した運動プログラムが作られます。
そしてその運動プログラムにしたがって、実際に手をカップに伸ばして持とうとします。
しかし赤ちゃんは運動経験が不足していて、適切に予想してプログラムを作ることが出来ません。
ですから初めのうちは失敗して、カップを落としてしまいます。
しかしどのくらい失敗したかの結果が、感覚フィードバックとして脳に戻されます。
そして予測して立てた運動プログラムと、実際に行われた動作の違いが照合されて、次回の運動に、受けて修正されます。
この予測した運動プログラムと、実際の動作の誤差を照合して、修正し続けることで、運動が上手になって行くのです。
これが「運動学習」ということになります。
脳性麻痺のお子さんは、この「運動学習」が上手くいかないために、成長するにつれ脳の神経シナプスが切断されてしまい、手足の運動機能が衰えてしまうのです。
なぜ「運動学習」が上手くいかないと、神経シナプスが切断されてしまうのでしょうか?
神経シナプスを管理するミクログリアの働き!
私たちの脳は、その脳の中にある「神経細胞」が、電気信号のやりとりをして、コンピューターの様に働くことで、モノを考えたり、手足を動かしたりしています。
そして神経細胞は、その細胞から腕を伸ばして、ほかの神経細胞と連絡することで、電気信号を伝えています。
この神経細胞と神経細胞をつなぐのが「シナプス結合」と呼ばれるつながりです。
ですから脳の可塑性は、このシナプス結合を変える事で行われているのです。
ではどの様にして脳の神経細胞どうしのシナプス結合が切り替えられているのでしょう?
ヒトの脳の細胞には、神経伝達を行うシナプス細胞の他に、『グリア細胞』と呼ばれる細胞があります。
この『グリア細胞』は、さらに「ミクログリア」「アストロサイト」「オリゴデンドロサイト」などに分かれています。
そしてこの「ミクログリア」と呼ばれるグリア細胞が、神経細胞のシナプスの接続を切り替える働きをしているのです。
それはどういった働きなのでしょう?
ミクログリアは、神経細胞のシナプスの中でも、良く使われるシナプスを強化する働きを持っています。
しかし反対に、あまり使われていないシナプスを切断する働きもあるのです。
また使われていない神経細胞を破壊して、他に必要な部分の神経細胞を作ることもしている様なのです。
この様なミクログリアの働きによって、脳内の神経細胞の連携は、変化して行きます。
ですから脳性麻痺のお子さんが、キチンと手足を動かして、キチンと運動学習をしていないと、手足を動かすための神経細胞のシナプスを、ミクログリアが不要なものだと判断して、切断してしまいます。
そのために脳性麻痺のお子さんは、成長するにつれて、ミクログリアがシナプスを切断してしまい、手足が動かなくなってしまうのです。
でもお子さんは、初めのうちは健康な子供と同じ様に(まったく同じではありませんが)バタバタと手足を動かしていたはずです。
それなのに何故ミクログリアはシナプスを切断してしまうのでしょう?
運動学習と身体図式の関係について!
じつはお子さんが運動学習を行うためには、ただ手足をバタバタ動かしているだけではダメなのです。
健康なお子さんの場合、生まれてから4ヶ月目くらいになると、両手を体の正面で合わせる様になります。
また5ヶ月目に入ると、自分の足を手で触って遊ぶ様になります。
この様に、お子さんは、自分の手足の形や大きさや動きを確認しているのです。
そうすることで、お子さんは自分の手足の働きや形を理解して行きます。
この自分の体に関する理解のことを「身体図式」と呼びます。
じつはこの「身体図式」が、お子さんの運動機能の発達には欠かせないものなのです。
手足をバタバタ動かして遊ぶことで、自分の体には、左右のそれぞれの側に、手と足が生えていて、手は物を持ったり動かしたりできて、足はうつ伏せでハイハイするときには動かせば、体を前に進められる、などのイメージが育ってくるのです。
これを「身体図式」と呼びます。
この身体図式が、しっかり育ってこないと、運動神経も発達してこないのです。
なぜならば、自分に手足が生えていて、それがどういうものかを理解していない場合、その手足をいくらバタバタ動かしていても、その機能を理解して、運動学習が行われることが無いからです。
しかし健康なお子さんの場合、手足をバタバタと動かしている間に、自然と「身体図式」が発達し、徐々に「運動学習」が進んで、いろいろなことができる様になってきます。
しかし脳性麻痺のお子さんの場合、ただバタバタと手足を動かしていても、「身体図式」が発達できず、「運動学習」も行われないために、いろいろなことができる様にはなってきません。
どうして脳性麻痺のお子さんは、自力で手足を動かしているだけでは「身体図式」が発達せず、「運動学習」も行われないのでしょうか?
脳性麻痺の子どもの「身体図式」や「運動学習」が制限される理由
多くの場合、脳性麻痺のお子さんが、生後に自力でバタバタと手足を動かしていても、それだけでは「身体図式」が発達せず、それに伴う「運動学習」も行われないために、運動機能が向上しなくなってしまいます。
これには以下の様な2つの理由があります。
⑴ 手足の筋肉のこわばり
保育器から出された脳性麻痺の赤ちゃんは、たいていの場合は、肩がこわばって怒り肩になっています。
お母さんが娘さんを抱きながら、「私はこんなになで肩なのに、どうしてこの子はこんなに怒り肩なのかしら?」と首をかしげるケースもよく見かけます。
しかし脳性麻痺のお子さんは、別にご先祖さまの誰かの遺伝子のせいで、怒り肩になってしまった訳ではありません。
脳性麻痺のお子さんは、多くの場合、体のいろいろな部分が十分に成長しないまま生まれてきてしまいます。
たとえば気管支が未熟なまま生まれてくると、気管支が細くて抵抗があるために、呼吸をするために、とても力が必要になります。
そうすると普通に息をしていても、とても苦しいために、ダンダンと肩に力が入って、怒り肩になって行きます。
つまりは脳性麻痺の怒り肩は、生まれつきの個性ではなく、生まれてから生き延びるための苦労の結果、ものすごく肩が凝ってしまった結果なのです。
生まれてすぐに、そんな命がけの苦労をした結果が、この怒り肩なのです。
そう考えるとちょっと泣けてきますね。
同じ様に、脳死麻痺の赤ちゃんの手足の筋肉も、カチカチにこわばっています。
これも多くの場合、脳性麻痺による神経症状でこわばっているのではなく、生まれてからの苦労で凝っているのです。
そしてこんな風に手足の筋肉がコチコチにこわばっていると、筋線維の中にある、感覚センサーが働かなくなってしまいます。
そうなると「運動学習」のための、感覚フィードバックが行われないため、運動神経も発達してきませんし、「身体図式」も発達しません。
⑵ 運動神経や感覚神経の未発達
脳性麻痺のお子さんは、脳の神経細胞も未成熟なまま生まれてくる場合があります。
脳の神経細胞が未熟なままですと、単純な運動刺激だけでは、その未成熟な細胞のシナプスを強化することができません。
ですからより質の高い運動刺激を、お子さんの脳にインプットしていく必要があるのです。
ですが脳に感覚情報をインプットするための、筋肉の線維に含まれている「感覚センサー」は、筋肉がコチコチにこわばっているために、うまく働いてくれないのです。
そのために脳性麻痺のお子さんは、単純な手足の運動だけでは、脳の神経細胞への「運動学習」が行われず、「身体図式」も生成されないのです。
身体図式を育て運動機能を発達させるニューロリハビリテーション
繰り返しになりますが、脳性麻痺のお子さんの場合、ただ手足を動かしていただけでは、運動学習による運動発達は得られませんし、身体図式も生成されてきません。
さきにご説明させていただいたように、脳性麻痺のお子さんは、筋肉のこわばりによる感覚センサーの問題や、運動学習を行うための脳の神経細胞の未成熟などの問題があり、簡単には運動発達に繋がりません。
しかし適切な運動刺激を神経細胞に入力することができれば、著しい運動発達を促すことも可能性があるのです。
それはいったいどのようなアプローチになるのでしょう?
身体図式を発達させるためのアプローチ
いかに簡単ですがご紹介させていただきますね。
⑴ 手足や背骨の周囲の筋肉のこわばりをとるマッサージ
さきにご説明しましたが、脳が運動神経細胞の数を増やしたり、シナプスを強化するためには、効果的な「運動学習」が必要です。
そして「運動学習」を効果的に進めるためには、筋肉の線維の中にある感覚センサーが、適切に働いて、筋肉の運動の情報をフィードバックする必要があります。
しかし脳性麻痺のお子さんの場合、多くは出生後のストレスから、手足や背骨の周りの筋肉が硬くこわばっています。
そのために筋肉の中の感覚センサーが、上手く働きません。
そこでニューロリハビリテーションの第一歩として、手足や背骨の筋肉をほぐします。
筋肉をほぐす方法としては、マイオセラピーと呼ばれる特殊なマッサージ方法を用います。
脳性麻痺のお子さんの手足の筋肉がこわばっている場合、脳の運動神経に問題があってこわばっている場合も、確かにいくらかはあるのですが、それだけではありません。
多くの場合に、きちんとマイオセラピーによって、筋肉のコンディショニングを行うことで、お子さんの筋肉は驚くほど柔らかくなって行きます。
マイオセラピーのポイントとしては、筋肉の表面ではなく、筋線維の奥にある、「筋硬結」と呼ばれる硬いこわばりをほぐすことで、筋肉全体のコンディションがよくなるのです。
そうして筋肉のコンディションを整えることで、運動時の感覚フィードバックが良くなり、「運動学習」を効果的に進めることができるようになります。
⑵ 未成熟な運動神経細胞を刺激するための促通運動
⑴ のアプローチで、手足の筋肉のコンディションを整えて、感覚フィードバックによる運動学習が効果的に行われる、身体環境を整えました。
次は単純な手足の運動をコントロールする運動神経細胞の発達を促すアプローチをおこなって行きます。
これはどうするかと言うと、もうひたすら単純な手足の屈伸運動を繰り返します。
ただし手足の運動を行う時には、お子さん本人が、その運動を行うと言うことを理解して、一緒に遊びながらやることが大切になってきます。
ここでお子さんが嫌がっているのに、無理やりに動かすようなことは、決してしてはいけません。
運動学習といえども、学習ですから、学習の効果を高めるためには、本人の意欲が一番大切になります。
可能であれば、手遊びみたいな状況に引き込んで、一緒に遊びながら行えると、とてもよろしいと思います。
⑶ 身体図式を育てるための総合的な感覚刺激
さて手足の運動発達を効果的にするために、特に大切になるのが、「身体図式」です。
この身体図式が発達してこないと、いくら手足の運動をしても、運動機能の発達は期待できません。
なぜなら「自分には手足が生えていて、それにはこんな働きがあります」と言うことを理解していないと、運動神経にも正しい学習が行われないからです。
そのために「身体図式」を育てるためのアプローチを、積極的に行って行きます。
アプローチ方法としては、お子さんに目でしっかり見てもらいながら、手の運動を行ったり、足の場合であれば、足を蹴った先に音の出る物を置いておいて、足で叩くと音が出るようにして、足に意識を向けるように促したりします。
そうやって自分には手足が生えていて、それにはこんな働きがあるよと言うことを、しっかりと理解してもらうようにアプローチを行って行きます。
また脳性麻痺のお子さんは、指先に触られたり、物を持つことを苦手にしている場合があります。
これも「身体図式」が、キチンと指先まで伸びてきていない可能性があるのです。
この場合の身体図式は、お子さんは指先の一本一本までをキチンと認識しておらず、たとえるなら自分の手をミトンのように、あるいはドラえもんの手のように、5本の指を一つのかたまりと認識している可能性があります。
この場合も、身体図式の発達のタイミングを見て、指先の一本一本まで、キチンと身体図式が伸びるようにアプローチを行います。
⑷ 高度な運動制御を発達させるためのアプローチ
ある程度、単純な屈伸運動などの手足の動きができるようになったら、次はもう少し複雑な運動を練習して行きます。
これはたとえば、左右の手足を交互に動かす運動や、ご両親が示した手の形(人差し指を立てるなど)を真似してもらう運動などがあります。
左右の手足を交互に動かす運動は、主に脳の補足運動野での運動制御の練習になります。
補足運動野では、大脳皮質の下にある「大脳基底核」やさらに下の「網様体」などと連携して、体を動かすときの運動リズムをコントロールしています。
手足の交互運動を練習していくことで、座った姿勢での首や体幹のバランスが改善したり、次のステップである歩行バランスの準備が行われます。
またご両親が示した指の形を真似してもらう練習では、目で見て形を確認して、それに合わせて自分の手の形を調節する練習を行っています。
私たちは操作する対象になる物の形を、目で見て確認しながら、それに適した指の運動を行うように、脳で制御しています。
この制御は主に「運動前野」で制御していますから、この練習は運動前野での神経発達を促します。
これらの練習は、将来の歩行やスプーンを操作しての食事などの基本練習になります。
⑸ 自分には可能性があることを理解させるアプローチ
小児ニューロリハビリでは、これらの「運動学習」を少しずつ進めていくのですが、その「運動学習」を効果的に進めるためには、お子さんがその練習を意欲を持って行うことが重要になります。
お子さんが意欲を持つためには、お子さんがその練習の意義をシッカリと理解し、自信を持って取り組むことが大切になります。
それにはリハビリテーションのメニューを、初めは簡単に達成できるレベルから、徐々にレベルを上げていきます。
小さな成功体験をコツコツと積み上げていくことで、少しづつその練習の意義と自信を育てていきます。
これらのアプローチは、小さなお子さんだけでなく、大人になってからのトランジションの方にも、一定の効果があります。
まとめ
小児ニューロリハビリテーションでは、適切なアプローチをターゲットとなる神経細胞に対して行うことで、効果的な「運動学習」を行います。
そして適切な運動学習を行えるようになることで、脳内のミクログリアの働きをコントロールし、神経細胞のシナプスを適切にコントロールできるようになります。
そうした脳内の活動を適正化することで、成長するに従い、手足の運動機能が退化する現象を予防するとともに、適切に運動発達ができるように、お子さんの脳内活動を変化させていきます。
小児ニューロリハビリテーションでは、脳内の神経活動を適正化させることを目的にしてアプローチを行います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
注意事項!
このサイトでご紹介している運動は、あなたのお子さんの身体状態を評価した上で処方されたものではありません。 主治医あるいはリハビリ担当者にご相談の上自己責任にて行ってくださるようお願い申し上げます。