神経解剖学者によって脳卒中リハビリにかけられた呪い
神経解剖学者の遺言
1928年、高名な神経解剖学者のCajal博士がいまわの際でこうのたまわれました!
「発達の時期を過ぎた成体の脳は損傷を受けると再生しない」 Σ(゚д゚lll)
そしてこの理論はその後20世紀の長い間信じ続けられることになりました。
かの文豪 芥川龍之介の偉業を顕彰するために、純文学の新人賞である「芥川賞」が設立されたのが 1930年ですから、Cajal博士によるこの法則は芥川賞よりも伝統があることになります。
脳卒中リハビリテーションにかけられた呪い
この Cajal博士の法則は、その後長い間にわたり脳卒中リハビリテーションに大きな影響を及ぼし続けました。
何と言っても「脳は損傷を受けると再生しない」のですから、もうどうしようもありません。
ですから20世紀の脳卒中リハビリテーションは「脳神経が損傷された後の残存機能を高めるリハビリ」に終始することになりました。
私の若い頃の経験
私が理学療法士として仕事を始めた昭和60年代は、まだ日本の高齢化もさほどは深刻になっておらず、医療保険制度にもお金に余裕が有る時代でしたので、脳卒中になった入院患者さんの多くは1年以上病院に入院し、ゆっくりとリハビリテーションを受けることができました。
実はその当時はあちこちのリハビリ専門病院に「ゴッドハンド」と呼ばれるセラピストが在籍していて「あの人にリハビリしてもらうと何故だか麻痺が改善する」という現象が見られていたのです。
私の当時の経験として、まだペーペーだった私の技術に満足できなかった、脳卒中片麻痺のある社長さんが、高名な「ゴッドハンド」のいる温泉病院に数ヶ月入院しました。
これには私も舐められたものだと少し腹が立ちました。
しかしその社長さんが再び私の勤務する総合病院に戻ってきたときに「絶対動くはずのない麻痺側の手が見事に動いて実用手になっていた」のには度肝を抜かれたものです。
しかし当時の常識では「そんなこと有る訳がない」のです。
何しろ「脳は損傷を受けると再生しない」のですから、「麻痺が良くなる訳がない」のです。
でも私はこの時の経験と患者さんの体験談から「もしかしたら麻痺は治ることもあるのかも?」と本気で考えるようになりました。
そして様々な工夫と経験から、ある程度は麻痺の改善の可能性があることを、確信するようになったのです。
しかし当時の医学界の常識は「脳は損傷を受けると再生しない」のですから、「麻痺が改善する可能性があるかもしれない」などと言おうものなら、ペテン師扱いで袋叩きです。
おそらくあちこちの「ゴッドハンド」の先輩たちも、さながら隠れキリシタンの神父様のような暮らしをされていたのだと思います。
呪いによる脳卒中リハビリテーションの悲劇
このことが実は脳卒中リハビリテーションに様々な悲劇を生んでいるのです。
まずは「麻痺が回復しない」ということが、腕の悪いセラピストに悪用され、自分の腕が悪いのを棚に上げて麻痺のせいにしてしまう事件が多発します。
急性期の筋のコンディションの障害も麻痺のせい!
長期臥床で腰痛が悪化したのも麻痺のせい!
歩行練習の方法が間違っていて下肢に痺れが出たのも麻痺のせい!
何でもかんでも麻痺のせいで逃げられるようになってしまったのです。
ヘボなセラピストが適当にやって良くならないのは麻痺のせい。
こんな具合です。
医師や看護師は「治すのが当たり前」の世界でその腕前を厳しく評価されています。
しかしリハビリのセラピストは「治らなくて当たり前」の世界で甘やかされ放題です。
こんな楽な商売は他にはまず見当たりません。
だからボンクラが多いのかな(笑)
それからさらに不幸であったのは「ゴッドハンド」達がどのようにして、麻痺を改善していたのかが、科学的に検証されなかったということです。
これらの技術は、ほとんどの場合、まるで科学的に語られることがなく、職人技として弟子のみが見て盗む方式で受け継がれていくことになったのです。
脳科学の進歩による認識の変化
しかし2001年にスェーデンのLund大学のグループによって報告された『Neuronal replacement from endogenous precursors in the adult brain after stroke(成人の脳における脳卒中後の神経前駆細胞からの神経補充)』により流れが変わりました。
21世紀に入って、急速に脳科学が進歩すると、脳神経細胞が再生する可能性が語られ始めることになったのです。
脳卒中リハビリテーションの変化
しかし現状の医学レベルで、何でもかんでも脳神経が回復するなどということはありません。
発見された神経の回復はどれも非常に限定的で、麻痺の改善に対して十分なものとは到底言えないレベルです。
しかし「絶対に麻痺は改善しない」という世界で、何でもかんでも麻痺のせいにして日常生活訓練を進めるリハビリのみが行われる世界より、「麻痺の回復の可能性を求めながら」身体機能の向上に目を向けたリハビリテーションが注目されていくのは、とても喜ばしいことです。
残念ながら長い間の日常生活動作リハビリ至上主義により、回復期リハビリテーション病院のリハビリが日常生活動作訓練のみになって久しいため、かつての先輩方の「ゴッドハンド」の技術の多くは失われてしまっています。
しかし21世紀に入り「脳卒中の麻痺を改善するためのリハビリ」の新たな流れが生まれていることも事実です。
確かに現在の我が国には、これから増えてくる高齢者の方達に対して「麻痺を改善するためのリハビリ」を病院に入院して十分に受けていただくだけの経済力はないと思われます。
なぜならばこれらの脳卒中リハビリテーションには何年もの時間がかかるからです。
おそらくこれらの麻痺を治すための脳卒中リハビリテーションを普及させていくのは、在宅医療の世界になると思われます。
またこれからの脳卒中リハビリテーションの分野で注目されている、ブレインマシンインターフェースを利用したニューロリハビリテーションなどの普及は、高度な病院でのアプローチと在宅医療との連携が重要になってくると思います。
現在の在宅医療におけるリハビリテーションは、どれも不十分なサービスレベルでしかなく、デイケアやリハビリ特化型デイサービスでのリハビリも、そのほとんどが「なんとなく訓練機器が置いて身体を動かせる」程度のレベルに留まっています。
皆さんが在宅リハビリテーションで、高度で戦略的な脳卒中ニューロリハビリテーションが受けられる日が、1日も早く来ることを願っています。