リハビリ裏話

人工呼吸器の高性能化がもたらしたもの

人工呼吸器の高性能化がもたらしたもの

 

今から20年くらい前に、相次いで新型の高性能な人工呼吸器が発売された時期がありました。

それらの機種は、現在でも臨床での人工呼吸管理の主力として活躍しています。

 

特に上位の3機種の性能が優れていました。

それは米国のピューリタン・ベネット社の「ベネット 840」、スウェーデンの「サーボ 300」そしてドイツのドレーゲル社の「エビタ 4」です。

これらの人工呼吸器が優れていた点は、それまでの圧センサーによる吸気トリガーではなく、流量センサーによるフロー・トリガーによって、患者さんに負担をかけずに、呼吸のサポートが出来るようになったことです。

そして様々な呼吸モードを備えていて、患者さんの呼吸状態にきめ細かく対応することが可能でした。

 

確かにそれまでの低品質で性能の劣った人工呼吸器の中には「お見送りマシーン」と医療者から陰口を言われるような物も多くありました。

つまりそんなポンコツを付けていては、患者さんの呼吸状態や病気が良くなるわけはなく、遅かれ早かれみんな死んでしまう。

そんなことで、患者さんのお身内が揃うまで、呼吸を維持するための機械なんて役割の物も、昔は沢山あったのです。

 

しかし人工呼吸器の性能が向上してきたことや、集中治療室での呼吸ケアなどの技術が向上してきたことで、急性呼吸促迫症候群(ARDS)などの重症な肺炎も、キチンとケアすることができるようになりました。

実はその当時に勤務していた総合病院で、私が理学療法士 兼 臨床工学技士として、集中治療室を中心に呼吸ケアを行なっていた時のエピソードに、こんなことがありました。

そこの病院は、都内のある大学病院と提携していて、ほとんどの若手の医師は、その大学病院から派遣されて来ていました。

そして例えば急性期の治療が終わった、人工呼吸器が装着された患者さんも、ドンドンその大学病院から送られて来ていたのです。

例えば頸髄損傷で人工呼吸器が装着された患者さんなどです。

これまではその病院では、大学病院から送り込まれた人工呼吸器が装着された患者さんは、しばらくすると肺に無気肺などが起こり、そこから肺炎になって亡くなってしまうのが通例でした。

しかし私が呼吸ケア専属の要員として集中治療室に配属されたからには、そんなことは許しません。

私はこれらの患者さんに対して、ガンガン呼吸ケアを行なって、発生した無気肺や肺炎を治し続けました。

その結果として何が起こったか。

命は助かったけれども、人工呼吸器からのウィーニング(離脱)が困難な患者さんが、集中治療室内に溢れかえってしまったのです。

実は私がその病院で、リハビリテーションセンターの配属を解かれて、集中治療室の常勤になったのは、試験的に行なった、食道全摘術などの術後の呼吸ケアで、術後の肺炎による失敗がゼロになったためでした。

呼吸ケアが効率的に働くことで、外科の医師たちが、安心して手術を行えるようになったのです。

 

ですから消化器外科医であった院長先生が「これこそ若い頃の私が求めていたサービスだ」と喜んで、半ば強制的に私を集中医療室の呼吸ケア専属に配置転換したのです。

確かに私が呼吸ケアの専属として働くことで、術後の肺炎は全くなくなりましたが、今度は病院内に人工呼吸器が外せない患者さんが溢れ返ることになってしまったのです。

私が行なった呼吸ケアは、術後肺炎を駆逐するというメリットも大きかったのですが、中途半端に延命して人工呼吸器が外せない患者さんが、病院内に溢れかえるという現象が起きたのです。

私の呼吸ケアは病院運営にとっては、まるで諸刃の剣のように作用してしまったのです。

 

あれから人工呼吸器はさらに小型で高性能になって来ています。

最近の最新型の在宅用の人工呼吸器ですら、当時の価格で1000万円クラスの最上位機種と、それほど遜色ない性能を持つようになって来ています。

その結果として、最近の神経難病の専門病院や療養型の病院には、人工呼吸器が装着された患者さんが、溢れかえっています。

最近の人工呼吸器は本当に性能が良くなり、呼吸ケアの技術も高まりましたから、一度人工呼吸器が装着されると、そう簡単には死ねなくなってしまっています。

こんなことは一昔前にはなかったことです。

 

これからも医学はドンドン発達していくことでしょう。

そしてそのおかげで病気から救われる方も増えていくでしょうが、その反面で、大きな問題を抱えたまま助かる方も増えてくるのだと思います。

例えば人工呼吸器を装着したおかげで、命は取り留めたけれども、一生人工呼吸器が外せない体になってしまう様なケースです。

もし自分が訳もわからぬままに、大きな怪我をしたり、急病になったりした後で、気がついたら身動きできない状態で、人工呼吸器が着けられてしまっていたら、それをすぐに受け入れて納得できるでしょうか?

自分には自信がありません。

 

何故ならば、初めからそうなることが分かっていて、生き延びるために覚悟して人工呼吸器をつけるのと、気がついたら二度と外せない人工呼吸器が着けられていたのとでは、それは全く意味が違うからです。

簡単に受け入れて納得できるはずがありません。

 

どうもリハビリテーションを受けている患者さんの中にも、この納得できていな方が、結構多くおられる様な気がします。

 

なんのために自分はこんなに苦しい思いをしているのか?

 

なんのためにこんなに痛みを我慢しているのか?

 

その理由が分からないままに努力を続けても、明るい未来は待っていない様な気がします。

 

これからも医療技術はドンドン進歩するでしょう。

それによって得られる結果も変わっていくことでしょう。

 

それに対して医療者側だけでなく、治療を受ける側のあなたにも、医療や疾患に対する知識が大切になっている気がします。

自分が今、どこに向かって治療を受けているのか、リハビリテーションを頑張っているのか?

それをはっきりと認めて納得した上で、前に進んでいただきたいと思っています。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

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