はじめに
かつてスペインの神経解剖学者 Ramony Cajal 博士は「一度発達過程が終了すると、神経細胞の軸索や樹状突起の伸長や再生の源泉は、恒久的に枯渇するため、成体の中枢神経においては、神経の経索は固定され、普遍なものとなる」と提唱しました。
そのため、成人の中枢神経系は、変化せず、固定されたものとなると考えられていました。
しかし1992年に、北欧の研究チームにより、神経幹・前駆細胞(NS/PC)が発見され、神経細胞が再生することが、わかりました。
また比較的早い時期に、神経細胞同士の接続の強度や、その性質が、行動学的な適応により強化あるいは抑制させることも、分かっています。
これらの発見は、一方では、これまで困難であった、中枢神経の再生医療への流れとなり、もう一方では、ニューロリハビリテーションが台頭する引き金となりました。
実は最先端の神経再生医療とニューロリハビリテーションは、その理論的な裏付けにおいて、全く同じルーツを持っています。
今回はニューロリハビリテーションの兄弟技術とも言える、神経再生医療について、私の専門ではありませんが、少し解説してみたいと思います。
また神経再生医療とニューロリハビリテーションの関係についても、解説してみたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
脊髄損傷・脳卒中への神経再生医療
これまで世界では、動物実験による、胎児組織由来 NS/PC(神経幹・前駆細胞)移植や、ES細胞由来NS/PC(神経幹・前駆細胞)移植による、運動機能回復などの報告がなされています。
しかし日本では、中絶胎児の組織を利用する必要がある、細胞種・組織に関しては、その倫理的な問題から、臨床応用は認められてきませんでした。
なぜならば胎児の中絶が、奨励されてしまう恐れがあるからです。
しかし2006年に山中伸弥教授によって、人工多能性幹細胞( iPS細胞)の技術が発明されます。
このiPS細胞は、人の細胞のどこからでも作れるため、倫理的な問題が発生しない、画期的なものでした。
現在は、このiPS細胞に関しては、健常ボランティアからの組織提供により、多様なHLA型に対応した、安全性の確立した細胞を、常時プールする『 iPS細胞バンク 』の実現化が勧められています。
国家規模での、高い品質を担保して、拒絶反応のリスクをコントロールする体制が、整えられつつあるのです。
では現在は、どのような細胞種が再生医療に活用されているのでしょう?
神経移植に使われる細胞種
現在では、種々の神経疾患や脊髄損傷などを対象にして、神経細胞の補充療法が研究されています。
そして神経補充療法においては、以下のような様々な細胞種が、その目的に応じて使い分けられています。
① 神経幹・前駆細胞( NS/PC )
NS/PC は、脳を構成する主要な3種類の細胞である、ニューロンやアストロサイト、オリゴデンドロサイトに分化して、神経の自己複製を促進する細胞です。
NS/PC は、これまでは胎仔・胎児の脳から作られていましたが、最近では、ES細胞や iPS細胞からも作れるようになりました。
NS/PC の移植による動物実験では、以下の4点の有効性が報告されています。
「運動機能回復の促進」
「運動誘発電位の改善」
「神経三系統への分化(神経細胞、奇突起膠細胞、星状細胞)」
「移植細胞と元の細胞間でのシナプス形成」
② 奇突起膠前駆細胞( OPC )
OPCは、奇突起膠細胞(オリゴデンドロサイト)だけでなく、神経細胞(ニューロン)や星状細胞(アストロサイト)にも分化します。
OPCは、奇突起膠細胞に分化しやすいことで、脊髄損傷の回復に効果が高いと考えられています。
また、移植細胞と元の細胞間のシナプス形成を促す効果も高いと言われています。
③ 骨髄間質細胞( BMSC )
BMSCは、患者自身の骨髄から採取できるために、特に安全性の高い細胞種です。
BMSCは、神経栄養因子を多く作り出します。(後に説明します)
またMUSE細胞も、このBMSCから作り出されます。
このMUSE細胞は、多分化能があり、損傷部位に移動して組織修復効果があるため、移植だけでなく、血管から投与する治療法も行われています。
MUSE細胞を用いた治療に関しては、小児の脳性麻痺に対して、乳歯の骨髄からMUSE細胞を培養して、血管からの投与を行うことで、運動神経機能を回復させる治療方法が、すでに臨床で行われています。
この治療方法は、現在は保険が効かないために、1回の治療に200万円くらいかかるそうですが!
④ 嗅粘膜細胞( OEC )
OECは、脊髄損傷、脳損傷、末梢神経損傷、ALSなどに治療効果があると言われています。
OECは、神経損傷時の軸索伸長を促します。
神経再生医療の効果
① 神経補充効果
脳に神経細胞を補充することで、治療効果が得られる、最も一般的な例としては、パーキンソン病の大脳基底核の黒質に、神経細胞を移植することで、ドーパミンの産生を促す治療方法でしょう。
人に対する臨床実験でも、黒質線条体系で、神経伝達物質であるドーパミンの産生を回復させることで、寡動(あまり動かない状態)や固縮(こわばった状態)が改善され、内服薬の量が減らせています。
しかし脳卒中などでは、ただ単に神経細胞を補充するだけでは、治療効果を期待することはできません。
元の神経系に生着し、きちんと3種類の細胞(神経細胞、奇突起膠細胞、星状細胞)に分化し、シナプス形成や神経回路の再構成が行われて、それが効果的に機能することで、初めて麻痺が回復するのです。
② 髄鞘形成
神経細胞(シナプス)は、その神経の枝を伸ばすことで、他の神経細胞と連絡をとり、シナプス形成を行います。
移植された神経種の中には、この髄鞘形成を促進することで、神経の伝導性を回復させ、運動機能の回復を促すと考えられています。
③ 栄養効果
移植細胞には、様々な液性因子を発生させて、神経細胞保護効果や炎症反応制御効果を発揮します。
これを「間接効果」と呼びます。
種々の液性因子は、軸索伸張作用や、シナプス新生能、神経保護作用などがあります。
これらの作用により「神経可塑性」(神経機能の変化)を促します。
この神経栄養因子とニューロリハビリテーションの併用による、相乗効果が認められており、神経細胞移植とリハビリテーションの併用療法の有用性が証明されています。
神経再生医療の問題点
① 時期特異的な変化
神経移植は、発症あるいは損傷された時期によって、その効果が異なっています。
脳卒中では、急性期から慢性期まで、その治療効果が期待できると言われていて、様々な細胞種による臨床での研究が進められています。
しかし脊髄損傷においては、神経移植の効果が得られる期間は、ヒトでは、受傷2~4週間後と言われていて、通常のiPS細胞による NS/PC や OPC の作成は、安全確認までに数年かかるため、間に合いません。
この問題は、将来的には iPS細胞バンクの活用によって、解決が可能なのではと考えられています。
② 腫瘍化の問題
移植細胞の腫瘍化の問題は、とても重要です。
iPS細胞においても、NS/PC移植後に、神経系腫瘍を発症するケースが認められています。
これは iPS細胞を作り出す時に導入された、初期化遺伝子の再活性化や、導入時のゲノムの傷が原因と言われています。
このためにゲノム挿入のない、integration-free iPS細胞の提唱がされています。
またその他にも、様々な安全性の確立に対する施策が試みられています。
③ 移植自体の侵襲や副作用の問題
移植自体の問題として、移植手術による、出血や感染などの問題があります。
また移植細胞が大きすぎた場合なども、周辺の元々の神経細胞に対して、影響を及ぼします。
さらには基本的には、移植細胞が、どのような神経線維を再生するかは、制御ができないため、得られる神経機能が不明確な問題もあります。
神経再生医療とニューロリハビリテーションの関係
① 運動療法による内在性神経新生の賦活
運動と神経の再生は密接に関係しています。
歩行などの有酸素運動や水泳は、海馬での神経新生を促進する効果が知られています。
またラットなどの動物実験では、玩具が多く、仲間が沢山いる「豊かな飼育環境」が、自発的な運動を促して、運動療法効果が得られており、歯状回での神経新生や、脳卒中モデルでの脳室下帯での神経前駆細胞を増加させます。
これはヒトにおいても、有効なリハビリセンターでの活動や、社会参加が重要であることを示唆しています。
② 運動療法による神経栄養因子発現増加
運動療法によって、神経栄養因子の産生が増加することが分かっています。
脳卒中モデルでは、海馬の BDNF(脳由来神経栄養因子)やIGF-1(インスリン様成長因子)、大脳皮質での GDNF(グリア細胞由来神経栄養因子)が増加します。
③ 神経再生医療とニューロリハビリテーションの併用
神経移植療法も運動療法も、共に神経栄養因子を増加させる効果があります。
そして運動療法によって増加する神経栄養因子と、神経移植によって増加する神経栄養因子が、併用されることにより、機能回復促進効果が高まるのだと考えられています。
まとめ
今回は、最新の神経再生医療の一端を紹介すべく、私個人の専門外ではありますが、拙い筆を撮らせていただきました。
また今回の記事は、慶應義塾大学医学部リハビリテーション医学 非常勤講師 田代祥一先生の文献を、引用・参照させていただいております。
田代先生におかれましては、勝手な引用・参照につきまして、何卒ご容赦のほど賜りたく、ここにご挨拶申し上げます。