家族が目の前で倒れたら、普通はすぐに救急車を呼びますよね。
目の前で家族が倒れているのに、それを横目で見てほったらかしにしていたら、それは犯罪です。
いわゆる未必の故意の殺人になってしまいます。
しかし家族が倒れたときに、救急車を呼んではいけない場合があります。
それはどう言った場合なのでしょうか?
普通に健康な生活を送っておられた方が倒れた場合、これは必ず救急車を呼ばなければなりません。
しかし倒れたご家族が、何らかの持病を持っていて、いったん倒れた後の回復が期待できない場合、救急車を呼ばないという選択肢が生まれます。
この場合には、その持病に対して、在宅診療を受けており、主治医の先生との話し合いで、心肺蘇生を行わず、救急車も呼ばないという意思決定がなされています。
つまりはそろそろ倒れることが分かっていて、さらにはそれを蘇生したところで、苦しみを引き延ばすだけだという事が分かっているケースで、救急車を呼ばないという選択肢が生まれます。
でもこの様なケースでも、いざという時に家族は救急車を呼んでしまいます。
それはどうしてでしょう?
現代の日本人は人の死を身近に体験していません
これまで20世紀の間は、人の死は病院の中だけで扱われてきました。
つまり私たちは自分の家族の死を、病院の中で、何人ものお医者さんや看護師さんに取り囲まれている状態で、その後ろから眺めているだけだったのです。
確かに愛する家族の死は悲しいものです、しかし目の前に迫ってくる家族の死に対して、医療の専門家が何重もの盾になってくれている状態では、死に対する恐怖はさほど感じません。
そこで感じるのは、あくまでもメランコリックな感傷だけです。
在宅での看取りはそんなに甘くない?
しかしもし在宅で看取りを行っているときに、実際に家族が死にかけていたら、そして在宅診療の先生が、連絡してもなかなか来なかったら。
あなたは目の前で死にゆく家族と、たった一人で対峙しなくてはならないのです。
このときに感じるのは、家族を失う悲しみなんて生易しいものではありません。
そこで感じるのは、目の当たりにした死への恐怖です。
そんなときに、家族の方は、ついうっかり救急車を呼んでしまいます。
そして呼ばれた救急隊員は、いつものルーチンワークで、蘇生救命してしまうのです。
救命されて、病院の集中治療室で目覚めた家族は、「あれ何で」なんて思ったりしますが、まあ助かってホッとしてもいます。
ですがその後には、長く苦しい寝たきり生活が待っていたりするのですね。
こうなっては在宅医療はある意味で失敗です。
在宅医療チームの苦悩
ですから在宅医療のチームは、こんな事態にならない様に、様々な手を尽くします。
たとえば神経難病の患者さんが、肺炎などになって苦しまない様に、呼吸ケアを徹底して、最後の時を肺炎で呼吸が苦しくなって逝く、なんて事にならない様に努力します。
また徐々に栄養を減らして、少しずつ体力を落として見たり、色々工夫をして見たりもします。
どうすれば一番安らかに旅立てるのか?
それは人の生き様との自問自答になる場合もありますね。
以前、かなり昔ですが、こんな経験がありました。
訪問リハビリでうかがった、慢性呼吸不全の患者さんのお宅で、患者さんの酸素流量が異様に高くしてあったのです。
こんな高濃度の酸素を吸っていたら、あっという間にナルコーシスになって、呼吸が止まってしまいます。
(慢性呼吸不全の患者さんは、治療で吸う酸素の濃度が高すぎると、かえって呼吸が止まって死んでしまうのです。)
私はすぐに病院に連絡して、酸素流量の調節許可を取り、家族に適切な酸素流量をアドバイスしました。
そのおかげで、患者さんのナルコーシスは回避され、呼吸状態も良くなったのです。
ですが後日、その担当のベテランの主治医の先生に、「酸素はあのままで良かったのに」と言われて、私はハッと気がつきました。
先生は患者さんのベストのタイミングをはかって、酸素を多めにして、そのままナルコーシスで眠る様に逝ってもらおうと、一服盛っていた様なのです。
確かにその数日前に、看護師さんが、患者さんの髪の毛を切ってあげて、ヒゲも剃って綺麗にしてあげていたなと思い出しました。
要するに、ベテランの先生が、いちばんベストなタイミングで、楽に旅立たせてあげようとしていたのに、中途半端に呼吸ケアをかじった若手の理学療法士に、完全犯罪を邪魔されてしまったのです。
その後、その患者さんは、急に床ずれができたり、体力が低下して、体調が悪くなったり、散々な目に会いました。
本当にアレがベストなタイミングだったんだなと今でも思います。
本当にごめんなさい。
反省しています。
生き方と逝き方をしっかり考える!
人が亡くなるということは、並大抵のことではありません。
確かにお医者さんによる完全犯罪は、良いことではないのかも知れません。
しかしこれは患者さんの奥さんに許可を取れる様なものでもありません。
だってそんな決断を、素人の家族ができるわけがありません。
でもむやみに全力で治療することも、この様なケースでは決して患者さんの幸せにはなりません。
こういう時に、キチンとした宗教観が無い日本人て、大変だなと思うのです。
在宅医療では、神様やお医者さんの力を借りずに、家族の死を受け入れなければなりません。
どう生きて、どう旅立つのか?
そんなことを、キチンと考えておかなくてはならない時代になってきています。
最後までお読みいただきありがとうございます。