はじめに
筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、運動神経の麻痺(脊髄前角細胞の上下の神経)が徐々に進行して、手足の麻痺から、最後は呼吸するための筋肉が麻痺します。
そのために病気の最後には、呼吸が苦しくなって、呼吸困難におちいってしまいます。
それを防ぐためには、人工呼吸器を着けなければなりません。
しかし人工呼吸器を着けるためには、喉のところを切って、気道に呼吸のためのチューブを入れなければなりません。
そのために人工呼吸器を着けると、話すことも食べることも出来なくなります。
ですから ALS の患者さんで、本格的な人工呼吸器を着けることを希望する方は、ほんのわずかです。
宇宙物理学者のホーキング博士みたいな、大きな目標のある方でないと、様々な苦労をしてまでも、生き延びるという気持ちにはならないのが現実のようです。
しかし徐々に弱ってくる呼吸筋に対して、何も出来ないわけではありません。
適切な呼吸リハビリテーション(呼吸ケア)を受けることで、随分と呼吸が楽になる場合がほとんどです。
呼吸が苦しくなければ、そして痛みが少なければ、ヒトと言うものは割合落ち着いていられるようなのです。
そして呼吸ケアのひとつの方法として、マスクバイパップによる、呼吸補助と言う方法があります。
これによって呼吸筋が徐々に弱ってきた状態でも、呼吸を安定させることで、なるべく落ち着いた時間を長くすることが可能になります。
「人工呼吸器を着けたくない」と言う方でも、このマスクバイパップは使ってみる価値があると思います。
今回は筋萎縮性側索硬化症(ALS)に対するマスクバイパップについて解説します。
どうぞよろしくお願いします。
マスクバイパップとは?
ふつうの人工呼吸器は、気道内にチューブを入れ、そのチューブを通して人工呼吸器から肺に圧をかけて、酸素を送り込んでやります。
ですから長期間の人工呼吸器の装着には、喉のところを切って、人工呼吸器をつなぐためのチューブ(気管切開チューブ)を入れてから、人工呼吸器をつなぐ必要があります。
なぜ人工呼吸器をつなぐ必要があるのかと言うと、ALS では、呼吸するための(息を吸って吐くための)筋肉が徐々に麻痺していきます。
そのために自分では息を吸ったり吐いたり出来なくなるので、それを助けるためのポンプが人工呼吸器なのです。
しかしALSの呼吸筋の麻痺は、ゆっくりと進行しますから、「今日から急に人工呼吸器を着ける必要があります」みたいな感じにはなりません。
ですからその手前の段階で、もう少し簡単に息を吸ったり吐いたりするのを、少しだけ助けてくれる機械が必要になったのです。
それがマスクバイパップと呼ばれるものです。
このマスクバイパップは、気管切開チューブを入れなくても、顔の口と鼻の周りを覆うようなマスクをバンドで固定して、それに対してモーターポンプで圧をかけて、呼吸を助けてやります。
ですから少し疲れて呼吸が苦しいときとか、夜寝る時のみとか、限られた時だけ、マスクをつけて呼吸をサポートしてもらうことができるのです。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)のマスクバイパップによるモラトリアム対策
モラトリアムというのは、いわゆる執行猶予というか、若者が社会に出て、働いて苦労する前の、大学などでの猶予期間を指して言うことが多いですね。
しかし筋萎縮性側索硬化症(ALS)のマスクバイパップによるモラトリアム対策の場合は、呼吸筋が徐々に弱ってきて、人工呼吸器を着けるまでの期間を長引かせることです。
つまり人工呼吸器の装着を猶予するための対策と言うことになります。
そしてこの「マスクバイパップ」を上手に使うことで、人工呼吸器を着けなくてはならない時期が来るのを、少しだけ先送りすることができます。
それが筋萎縮性側索硬化症(ALS)のマスクバイパップによるモラトリアム対策と言うことになります。
マスクバイパップによるモラトリアム対策のポイント
ではこの「マスクバイパップ」を上手に使うことで、人工呼吸器をなるべく使わなくて済むようにする方法とはどんなことなのでしょう。
⑴ 呼吸筋疲労を上手にコントロールする
呼吸するためには、息を吸って吐いてを繰り返さなければなりません。
そのためには呼吸筋と呼ばれる横隔膜などの筋肉で、肺を引っ張って拡げなければなりません。
ですが ALS になると、徐々に筋肉が麻痺して、力が弱まってきます。
するとそれまでは最大の筋力の10%くらいで肺を拡げられていたのが、だんだんと20%、30%とキツくなってきます。
ですから呼吸筋力が弱くなると、それだけ呼吸によって筋肉が疲れやすくなるのです。
筋肉が疲れると、どうなりますか?
答えは簡単ですね。
筋肉が疲れると、その疲れが溜まって、筋肉がこってしまいます。
腰の筋肉がこると腰痛になりますし、肩の筋肉がこると肩が痛くなります。
では呼吸筋がこると、どうなるのかと言うと、呼吸がさらに苦しくなります。
筋肉がこっていると、筋肉の力が入りにくくなりますから、息を吸う力も弱くなってしまうのです。
なので ALS になった場合、ダンダンと呼吸筋の力が弱くなるに従って、筋肉が疲れやすくなりますから、それを予防するために、「マスクバイパップ」で呼吸をサポートして、筋肉を休ませてやるのです。
ときどき呼吸筋を休ませることで、普段の呼吸が楽になって、風邪などもひきにくくなります。
⑵ 肺のクリアランスを確保する
肺を拡げるための呼吸筋である横隔膜が弱ると、疲れやすくなる以外に、どんな事が起きるでしょう?
肺を拡げるための「横隔膜」が弱ると、その弱った分だけ、呼吸補助筋と呼ばれる、肩や首回りの筋肉が働くようになります。
全力で走っていると、呼吸が苦しくなって、肩で息をするようになりますね。
これが呼吸補助筋を使った呼吸で、「上部胸式呼吸」になります。
この呼吸方法は、呼吸自体が苦しいこともあるのですが、胸の上側を使って、肺の上の方ばかりを換気してしまいます。
そして肺の下の方には、あまり空気が出し入れされなくなるのです。
そうなると肺の底の方に、痰がたまりやすくなります。
そしてある程度の痰が溜まってしまうと、そこから肺炎が起こります。
(途中にもう少し複雑な経過があるのですが、難しいので今回は割愛します)
ですので呼吸筋が弱ってくると、肺炎を起こしやすくなります。
これをよく「誤嚥性肺炎」なんて呼びますが、別に食べ物や唾液を飲み込み損なわなくても、呼吸筋が弱っただけで肺炎になってしまうのです。
なので横隔膜の動きを助けて、なるべく肺の隅々まで酸素が行き渡るように、「マスクバイパップ」で呼吸をサポートします。
そうすることで横隔膜がしっかり働いて、「腹式呼吸」を続ける事ができ、肺に痰が溜まりにくくなります。
肺炎も予防できます。
⑶ 夜間の安眠を確保する
呼吸筋が弱ってきて、十分に肺が拡がらなくなると、それだけでヒトは息苦しさを感じるようになります。
元々が呼吸は自動的に調節させていますので、肺が十分に拡がらないと、神経のセンサーが働いて、脳に「苦しいですよ」とメッセージを送ってしまいます。
ですから一日中苦しくて、夜寝ている時まで苦しいと、「寝苦しくて十分に睡眠がとれない」なんてことになります。
ですからそれを予防するためにも、夜寝るときに「マスクバイパップ」を装着します。
そうすることで、呼吸筋の負担が減って、肺もよく拡がりますから、安心して眠る事ができます。
健康のために睡眠はとても大切です。
たとえあなたが不治の神経難病であったとしても、健康のための睡眠には、十分に気を配らなければなりませんね。
マスクバイパップによるモラトリアム対策の効果
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんの多くは、本格的な人工呼吸器の装着を嫌がります。
なぜならば人工呼吸器を装着すると、ALS の患者さんは、それからかなり長い期間を人工呼吸器に縛られながら生きることになるからです。
たとえば宇宙物理学者のホーキング博士は、たぶんおそらくですが、最初に人工呼吸器をつけたのは、日本でつくば万博が開かれるより前だったと思います。
博士はまだ元気で研究をされていますね。
偉大な研究のためには、時間はいくらあっても足りないのかもしれません。
しかしなんの目的もなく、病気と戦うだけのために費やすには、少々長すぎるかもしれませんね。
ですがたとえ人工呼吸器による延命を希望されない場合であっても、「マスクバイパップ」は使う価値があります。
まず人工呼吸が必要になるまでの期間を先延ばしにできます。
そしてその期間の呼吸状態を安定させることで、残された時間を、頑張って呼吸することではなく、別の大切なことに使える可能性が出てくるのです。
この残された時間の使い方は、とても大切です。
なぜならばそれがあなたの人生の集大成だからです。
病気に惑わされずに、大切に使っていただきたいと願っています。
またキチンと呼吸サポートを受けながら、徐々に呼吸筋力が低下することで、比較的に、肺炎などのトラブルになりにくく、また「ピンコロ」にもなりやすくなります。
つまり最後の瞬間を、肺炎などの合併症で苦しむのではなく、なんとなく呼吸量が不足することで、眠るように亡くなる可能性もあるのです。
人生の最後の時間を、病気による苦しさに煩わされずに、大切なことに時間を費やし、眠るように旅立つ。
これが上手くできれば良いのですが。
まとめ
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんの多くは、本格的な人工呼吸器の装着を嫌がるあまり、「マスクバイパップ」も拒否する傾向があります。
しかし「マスクバイパップ」の延命効果は、それほど強力ではなく、呼吸ケアのサポート機器的な位置づけになります。
ですので ALS に、より良い呼吸ケアを行うために、導入を検討されてみても良いのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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