人間50年時代の英雄
かつて織田信長が、出陣にあたっては、「敦盛」の舞を舞ったことはよく知られていますね。
あの「人間50年下天のうちをくらぶれば~♫」というやつです。
戦国時代には、人の寿命というものは、長くても50年程度だと考えられていたのですね。
確かに50年というと、現代の感覚からすると、50年は少し短い気もします。
でも生まれてから学校を卒業して、就職し、結婚して、子供を育て終えるのが、だいたい50歳前後であると考えれば、この人生50年もあながち間違いではありません。
少し前までは、定年退職の年齢も55歳ぐらいでしたしね。
その50年の人生の中で、英雄と呼ばれる人々は、常人には成し得ない偉業を達成したというわけです。
現代はドンドン寿命がのびる時代です
しかし21世紀に入ってから、医学の進歩や、生活環境の改善などから、私たちの寿命もドンドン伸びてきています。
最近の気になるアイテムとしては、「NMN」なんて言うサプリメントも開発されてきているようですね。
この「NMN」とは、ビタミンの一種で、若返り遺伝子と呼ばれる7種類のサーチュイン遺伝子を刺激して、身体を若返らせる効果があるそうです。
動物実験では、人間でいえば50歳くらいのマウスの餌に混ぜて、摂取させたところ、20歳代くらいの身体に若返ったそうです。
人間でどのくらい効果があるのか、まだ分かっていませんが、早く製品として手に入るようになると良いですね。
ちなみにアマゾンで探すと、「NMN」と銘打ったサプリメントが出てきますが、これは中国のアリババが提供しているもので、おそらくインチキです。
「NMN」の開発は、日本の製薬会社が行なっており、まだ研究目的でしか販売されていません。
くれぐれもインチキ商品に引っかからないように気をつけてくださいね。
(実はモノは試しで飲んでみましたが全く効果は感じられませんでした)
まあそんなこんなで、最近の巷では人生100年時代の到来なんて、言われるようになってきましたね。
しかし実際に人生100年と言われても、その100年をどう生きれば良いのかが、良く理解できていない(または決まっていない)方がほとんどのような気がします。
お年寄りに「いよいよ人生100年時代になりますね」なんて話しても、「そんなに長生きしても仕方がないよう」なんて返事が帰ってきます。
だからと言って、ヒトは自分の希望する年齢で、都合良く死ねる訳でもありません。
泣こうがわめこうが、場合によっては、これからの私たちは、100年を生きなければならなくなる可能性の方が高いのですから。
今からしっかり準備をして、人生100年の計を整えておかなくてはなりません。
どうしてそんな事を言うかというと、最近訪問リハビリをしていて、日中のスーパーやコンビニの休憩スペースで、本当に所在無げにたたずんでいるお年寄りを見かけることが多くなって来たからです。
そういったお年寄りは、見た目もけっこう若々しいですし、特に健康に問題があるようにも見えません。
それでも年齢的には70歳を超えている感じです。
でもまだまだ元気で、しっかり働けそうな感じはみなぎっています。
ですから定年退職で仕事はしなくなったけれども、まだまだ健康で動けるし、でも何をしたら良いのか分からない。
そんな感じです。
これからはこんな感じのお年寄りが増えてくるのではないかと、そんな気がしています。
これまでの老後の考え方は通用しなくなります
私は30代の初めに、アメリカに3年ほど留学して、呼吸ケアの勉強をしました。
当時は20代の初めまでに勉強した知識や技術だけでは、その後の長いキャリアを生き残るのは難しいため、30代くらいでもう一度勉強しなおす風潮があったのです。
アメリカで勉強しなおす事で、知識や技術の幅も拡がりましたし、それは良い経験であったと今でも思っています。
おそらくはそれと同じような現象が、これからの50代には起こるのではないかという気がします。
つまり50歳までの仕事やライフスタイルは、結婚して家族を養うための期間であり、50歳から後の100歳までの50年を、その残りの延長線と捉えると、長すぎて保たないのではないかと言うことです。
なのでこれからのお年寄りは、50歳までの子育て世代の完了とともに、次の50年をどう生きるのかを決め、それに向けた準備をする必要があるのだと思います。
でないと平日の昼間にコンビニの休憩スペースでため息をつく羽目になりますよ。
人間50年からあとの50年をどうしよう~♬ 人間100年時代の英雄はまだ生まれていません!
私たち大人は、これまで歴史や文学に学び、自分の人生を豊かにするために努力してきました。
しかし織田信長はもとより、ゲーテやトルストイ、シェイクスピアも、人間50年の経験しか知りません。
つまりこれまでの偉大な歴史や文学は、すべて人間の寿命が50年である事を前提としています。
偉大な仕事も、恋愛の物語も、戦争も、すべては50年の人生の中で完結しています。
過去の偉人の誰もが、人間50年の、その後の生き方をどうすれば良いのかを、教えてはくれないのです。
人間100年時代の、人生が一段落ついた後の、その後の50年と言うのは、人生をもう一度やり直せるくらいの長さです。
しかしそれまでの50年ほどの若さはありません。
もしかしたら病気をしているかもしれません。
まあ50歳までの人生がオリンピックならば、50歳からの人生はパラリンピックみたいなものかもしれませんね。
でもオリンピックでも、パラリンピックでも、金メダルは金メダルです。
人生のパラリンピックでも、なるべくなら良い色のメダルをもらいたいものですね。
最初の人生の目的が一段落した後の人生を、どう生きるのか?
次の人生の目標は?
お金は?
愛は?
そのような生を生きる経験をした、かつての偉大な先輩は、残念ながら一人も居ないのです。
あえて言うなら、毛利元就や北条早雲あたりは、それに近いかもですが、なんかそれとも違う気がします。
なぜならば毛利元就も北条早雲も、それまでの50年でやりきれなかった事の仕上げに、残りの寿命を使っているからです。
定年退職後に、新しい人生を設計し直して、イチから始めるのとは、ちょっと違いますよね。
さてあなたも私も、これからが人生の本番です。
人生のパラリンピックの始まりです。
世界最初の恋愛文学を、1000年後の世界に遺した、紫式部のように。
私たちの仲間から、1000年後に語り継がれるような生き方をする、偉大な先達が現れるのか、今から楽しみでワクワクしませんか?
これからの50年を、家族を養うためでも、好きな女性を口説くためでもなく。
自分の生き方の集大成として、何を目指すべきなのか?
あなたもしっかと眼をひん剥いて未来を見つめて、そして必死に考えてみてください。
家族を養うためでなく。
名誉や栄達のためでなく。
自分の人生の答えとなるような働きとは?
そう考えると、これからの50代からの人生は、かなり自由で楽しいものになるのかもしれません。
なんかワクワクしてきませんか?
最後までお読みいただきありがとうございます。