はじめに
脳卒中は、脳の中の血管が破れたり、詰まったりして、脳の神経細胞に血液が届かなくなり、酸素や栄養が供給されなくなることで、神経細胞が死んでしまう病気です。
脳の神経細胞が死んでしまうことで、左右どちらか片側の手足が麻痺(片麻痺)したり、言葉を話す機能が低下したり、理解力が衰えたりします。
この片側の手足の麻痺などは、後遺障害と言って、脳卒中の急性期治療が終わった後に、ずっと残る身体障害なのです。
この後遺障害は、手術や薬では治す事ができません。
治すためには、長い期間、じっくりとリハビリテーションを受ける必要があるのです。
実はこれまでは、脳卒中のリハビリテーションは、麻痺を治すことではなく、残された健側の手足を上手に使って、日常生活の動作をできるようにするのが目的でした。
これを「日常生活動作訓練型」の脳卒中リハビリテーションと呼びます。
どうして日常生活動作訓練型が行われてきたのかと言うと、これまでは脳卒中によって死んでしまった神経は、再生しないと考えられていたからです。
しかし21世紀に入って、いったん死んでしまった脳の神経が、再生する事があると分かってきたのです。
そしてこの脳の神経を再生させるために、積極的に神経学的なアプローチを行うリハビリ方法が、「脳卒中ニューロリハビリテーション」と呼ばれる方法です。
今回は、脳卒中の麻痺などの症状が、どうして起きるのか?
またそれに対して、ニューロリハビリテーションは、どの様なアプローチを行うのか?
などについて解説してみたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
脳卒中の麻痺はどうして起きるのか?
脳卒中になると、脳内出血であっても、脳梗塞であっても、左右どちらかの手足が麻痺する「片麻痺」と言う麻痺になります。
この脳卒中片麻痺は、麻痺した手足がこわばって動かしにくくなる、特殊な麻痺が起こりますね。
これを「痙性麻痺」と言います。
脳卒中の麻痺は、筋肉がダランとして力が入らなくなる、普通の麻痺ではなく、筋肉がこわばって動かせなくなるタイプの麻痺が、左右どちらかの手足に起こります。
なぜ脳卒中になると、左右どちらか片方の手足だけに麻痺が起きるのでしょう?
なぜ麻痺した手足は、こわばってギクシャクした動きになるのでしょう?
左右どちらか片方の手足が麻痺する理由!
ヒトの脳は、左右の大脳半球に別れています。
そして右の大脳半球は、左の手足を動かしています。
反対に、左の大脳半球は、右の手足を動かしているのです。
ですから、右の脳に脳卒中が起きると、左の手足が麻痺します。
反対に、左の脳に脳卒中が起きると、右の手足が麻痺することになります。
脳卒中の麻痺はどうして手足がこわばってギクシャクするの?
ヒトの脳は、左右の大脳半球に別れているだけでなく、それぞれの働きに応じて、もっと細かく分かれています。
例えば脳の前頭葉を見てみましょう。
前頭葉は、大脳の前の部分にあります。
そして前頭葉の前の部分には「前頭前野」があり、後ろの部分には「運動野」があります。
前頭前野が障害されるとどうなるか?
前頭前野は、脳の中で意志を決定している、とても重要な部分です。
この前頭前野の神経細胞が脳梗塞などで死んでしまうと、意志が決定できなくなります。
脳梗塞などで、周りから声をかけられると、手足を動かすけれど、誰も声をかけないと、じっと動かないままになる場合があります。
これなどは前頭前野が障害されたケースです。
実際は、前頭前野では、もっと細かく機能が分かれていて、意志の決定に、様々な混乱が起きるケースがあります。
運動野が障害されるとどうなるか?
前頭葉には、前頭前野の他に、運動野があります。
何をするか、意志を決定したら、次はすぐに行動に移せる様に、前頭前野のすぐ後ろに、運動野があります。
そして運動野は、ザックリと「1次運動野」と「高次運動野」に分かれます。
1次運動野の障害
1次運動野は、実際に手足をどの様に動かすかの指令を出しています。
ですから1次運動野が、脳梗塞などで障害されると、反対側の手足がこわばって動かせなくなってしまうのです。
高次運動野の障害
高次運動野は、1次運動野の前にあり、前頭前野と1次運動野に挟まれる位置にあります。
高次運動野の働きは、さまざなま状況に応じて、手足の制御を行います。
例えば、テーブルの上にある、リンゴを持つときと、コーヒーカップを持つときの、手の指の動きは違っていますね。
高次運動野では、目で見たものの形にあわせて、指の動かし方を調節して、それを上手に持てる様に制御しています。
1次運動野で、上手に手足を動かすためには、その状況に合わせて、うまく手足の運動を制御しなければなりません。
そのために高次運動野が働いているのです。
またヒトがなにかの動作をする場合、倒れない様に姿勢を上手に制御しなければなりませんね。
人間は2本足で立つと言う、とても不安定な状態で行動しています。
ですからバランスを保つために、正確に動作のリズムを調節して、スムースに運動しなければなりません。
高次運動野は、これらの運動リズムの調節と、さまざまな環境に応じた動作の制御を行います。
大脳基底核が障害されるとどうなるか?
あなたがなにか動作をしようとするとき。
例えばテーブルの上のコップの水を飲もうとするとき。
あなたは「コップの水を飲もう」と思っただけで、自然に手がコップに伸びて、気がついたらコップが口元に来ていますよね。
コップを正確に口元に運んで、こぼさずに水を飲む動作は、けっこう複雑な動作です。
でもこんな動作を、あなたは特に意識せず、みているテレビのドラマに集中しながら、出来ていたりしますね。
このような半分自動化された動作を制御しているのが、大脳基底核と小脳の連携です。
またこの2つの神経系の働きをつないでいるのが「視床」と言う神経核になります。
大脳基底核を中心とした、神経系は、大脳皮質のすぐ下にあります。
そして大脳皮質の中に蓄えてある、さまざまなデータを、上手に引き出しながら、半分自動化された日常の動作を、ほとんど無意識のうちに行います。
例えば、新人の見習いの板前さんは、包丁さばきもぎこちないですが、ベテランになると、適当に世間話をしながらでも、見事な包丁さばきを披露していたりします。
これは新人の板前さんより、ベテランの板前さんの方が、大脳基底核などに蓄えられた、半分自動的に行う運動制御のデータがたくさんあるからです。
このように、半分自動的な動作を、よりスムースに制御できるようになることは、つまりその動作が熟練することにつながります。
赤ちゃんは、コップを持とうとして、よくコップを倒してしまい、水をこぼしますよね。
これは大脳基底核などに蓄えられている、半分自動化された運動のデータが、まだまだ少ないから、うまく動作を制御できていないのです。
脳卒中になると、この大脳基底核などのデータが失われますから、動作がぎこちなくなるのです。
また歩く動作なども、健康な時には、半分自動化されていますが、これもうまく出来なくなっているために、頭で足の動きを考えながら、一歩一歩ゆっくり歩くようになりますね。
ですから脳卒中の患者さんが歩いているときに、話しかけられると、歩けなくなってしまうのです。
これらのさまざまな脳卒中の片麻痺による症状は、さまざまな脳の神経回路の障害の組み合わせによって、起こっています。
脳卒中の麻痺をリハビリテーションで治す方法
これまでの脳卒中リハビリテーションは、麻痺側の手足の回復をほぼあきらめて、残された健側の手足を上手に使って、日常生活動作を自立させる訓練を行ってきました。
しかし21世紀に始まった、脳卒中ニューロリハビリテーション(神経リハビリ)は、死んでしまった脳の神経細胞を再生させ、麻痺を治すことを目的にしています。
それではどうやったら脳卒中で死んでしまった神経細胞が再生して、麻痺が治っていくのでしょう?
運動学習メソッドによる神経再生
私たちは、脳が手足の運動を制御して、目的となる動作を行っています。
そしてこの運動制御が上手か下手かで、動作の正確性や、熟練度が決まってきます。
ですからこの運動制御を上手にできるように、脳の神経活動を練習することが、「運動学習」になります。
一般的な運動学習の方法は、この運動制御を繰り返し練習して、運動制御データを、脳の中に蓄積していくことで行います。
またこの運動データを蓄積するために、不足した神経細胞が、新たに生み出されたり、神経同士のシナプスが強化されたりします。
この現象を、効果的に追求していく方法が、ニューロリハビリテーションです。
運動制御の仕組みについて
ではここで運動学習を行うために、繰り返し練習する「運動制御」の方法について、少し解説します。
前頭前野での意志決定
私たちの手足の運動は、まずは「前頭前野」で、なにかやろうとする意志を持ちます。
高次運動野での運動プログラム
そしてその意志による目的の動作を、周りの状況などを参考にしながら、どう動作するかを「高次運動野」でプログラムします。
そのプログラムは、さらに1次運動野に送られます。
1次運動野での運動プログラム作成
そしてそこから導かれた、手足の具体的な運動制御を「1次運動野」でプログラムします。
その手足を動かすプログラムは、いったん大脳基底核系の回路をとおして、細かな調整を加えたのちに、脊髄を下っていって手足の筋肉を動かします。
この時に、1次運動野で作られた運動プログラムには、コピーが作られて残されます。
感覚フィードバック
実際に運動プログラムの指令によって、手足の運動が行われると、運動を行った筋肉の感覚センサーから、「どんな風に運動が行われたか」の感覚情報が、脳に戻されます。
これを「感覚フィードバック」と呼びます。
コピーとフィードバックの照合
脳では、最初に作られた「運動プログラムのコピー」と「感覚フィードバック」を照合して、運動司令と、実際の運動にどれくらいの誤差があったかを調べます。
そして次の動作で、この誤差を修正して行います。
これを動作の最適化と呼び、それによって行われる動作を「最適化フィードバック制御」と呼びます。
神経細胞の再生
この最適化フィードバック制御を繰り返し練習することで、運動制御が上達し、それに関わる神経細胞の不足を補うために、神経細胞が再生して行きます。
神経細胞の脱抑制
また神経細胞には、動作を行うための「興奮性細胞」と、それが行き過ぎないように抑制する「抑制性細胞」があります。
健康な時には、一部の興奮性細胞は、活動しすぎないように、よく生成細胞によって、その活動を抑制されています。
運動学習によって、神経細胞が刺激されると、この興奮性細胞に対する抑制が外されて、予備の神経細胞が活動を始めることがあります。
これを神経細胞の「脱抑制」と呼びます。
シナプス増強
また神経が再生するだけでなく、それを制御する神経細胞同士の、連携であるシナプスの結合も強化されていきます。
神経細胞の活動が再生される仕組みは、このほかにもいくつかのパターンがあります。
すべて運動学習を繰り返すことで、これらの反応が起きることが分かっています。
そうやって少しづつ麻痺を治していくのです。
脳卒中ニューロリハビリテーションのすすめ方!
それでは具体的な脳卒中ニューロリハビリテーションのすすめ方について、解説していきたいと思います。
Step 1: 麻痺側の筋肉のコンディショニング
脳卒中になると、麻痺側の手足の筋肉が、硬くこわばります。
そのために筋肉の中にある、感覚センサーが上手く働かなくなってしまいます。
筋肉の感覚センサーが働かないと、動作を行った時に、感覚フィードバックが起こりません。
そうなると「最適化フィードバック制御」が行えなくなりますから、運動制御ができなくなり、運動学習もできません。
つまりは脳卒中で筋肉が硬くこわばった状態では、いくら麻痺側の手足の運動を行っても、運動学習が行われないため、神経再生もできないことになります。
脳卒中ニューロリハビリテーションを効果的に行うためには、まずは麻痺側の手足の筋肉のコンディショニングが重要になるのです。
脳卒中でこわばった筋肉をほぐすには、マイオセラピーと呼ばれる、特殊なマッサージ方法で行います。
もしくは超音波や音波を利用した、マッサージ方法も効果があります。
脳卒中の麻痺側の手足の筋肉のこわばりは、基本的には発症時の自律神経機能の混乱による、筋肉の浮腫と、その後の回復期の運動制御機能の混乱によって作られたものです。
ていねいにマッサージすることで、かなりの部分で解消することができるはずです。
Step 2 : 1次運動野での神経再生アプローチ
麻痺側の筋肉をほぐした後は、麻痺側の手足を繰り返し動かして、運動学習を進めていきます。
麻痺によって、初めは、自力ではほとんど動かせないと思いますが、力まずに、イメージトレーニングくらいのつもりで、少しづつ動かしていきます。
まずはじめに、1次運動野での、手足の筋肉を制御するための、神経細胞の再生を行います。
まずはとにかく、麻痺側の手足が動かせるようにならなければいけません。
そこで運動内容は、関節の屈伸運動(曲げ伸ばし)などの、単純な動作を、とにかく毎日繰り返して練習します。
どのような運動を選択するかは、「まずは動かしてみて動くところから」はじめます。
これは個人差があるので、各自で試してみて、動きやすいところを足がかりにして、アプローチしていきます。
またEMS療法などの、電気刺激を併用して、筋肉を動かしながら、自分でも動かす練習が効果的です。
Step 3 : 高次運動野での運動制御を強化します
さて手足が動き出してきたら、次は制御のレベルを高めていかなければなりません。
今はまだ、あなたの手足は、ぎこちなく不器用に動いているだけでしょう。
ここから、周囲の状況や、操作する対象(カップやスプーンなど)の違いに応じた、手足の運動制御を練習していきます。
例えば、テーブルの上に、リンゴとコップと醤油差しを置いておき、これを順番に持ち上げる練習などを行います。
こうすることで、視覚で捉えた物体の形に合わせて、手の指の動かし方を調節する練習になります。
これは、高次運動野での、視覚情報などと目的動作を連携させた、手足の制御方法の練習になります。
Step 4 : 大脳基底核での運動制御を強化します
Step 3 での手足の運動が出来るようになってきたら、それを毎日繰り返し練習します。
この時に、焦って無理をしてはいけません。
決して力まずに、リラックスして、繰り返し動作を行います。
そうすることで、大脳基底核系の運動コントロール回路に、運動制御のデータが蓄積され、動作が熟練されることで、スムースに行えるようになっていきます。
また1つのカテゴリの動作がスムースになってきたら、動作の難易度を1つづつ上げていきます。
例えばコップが持てるようになったら、次はコーヒーカップを把手で持つとか、スプーンが使えたら、箸にするとか、少し難しい動作を選択していきます。
Step 5 : 姿勢制御や運動リズムを強化します
あなたが座っている時、立っているとき、歩いているとき、歩いていて角を曲がるとき、常に違ったリズムで運動を行っています。
一見すると、動かないで止まって見えるような、座っている時や、立っている時にも、ヒトはそれぞれの状態に適したリズムで運動しています。
そうすることで、倒れずに安定して立っていられるのです。
また緊張しているときに、喋ろうとして、言葉の最後が息が続かなくて、声がかすれてしまい、息が苦しくなることがあります。
これは普通に呼吸して、肺に酸素を送るための呼吸リズムと、声帯に空気を流して、声を出すための呼吸リズムが違うからです。
そして緊張していたり、脳卒中で関連する神経系が障害されていたりすると、この呼吸リズムの切り替えが上手くいかなくなってしまいます。
少し専門的な話になりますが、この運動リズムの切り替えは、高次運動野の中の「補足運動野」から、大脳基底核を経由して、網様体と脚橋被蓋核の連携で行われています。
ですから手足を左右反対に、リズミカルに動かすなどのリズム練習が、この問題には効果的です。
ちょうど子供達に大人気の「エビカニクス」の踊りなんかが効果的です。
まとめ
脳卒中ニューロリハビリテーションは、運動学習を積極的に進めることで、効果的に神経機能を回復させる、脳卒中片麻痺へのアプローチ方法です。
運動学習を効果的に進めるためには、麻痺側の筋肉からの感覚フィードバックを強化するために、麻痺側の筋肉のコンディショニングが重要です。
この筋肉のコンディショニングには、マイオセラピーと呼ばれる、特殊なマッサージ方法を用います。
運動学習によってニューロリハビリテーションを進めていくには、各神経系に対して、それぞれに適した運動学習を行います。
まずは1次運動野の神経細胞を再生するための、単純な手足の関節の屈伸運動から開始します。
ついで高次運動野による運動制御を回復させるアプローチを行い、ついで大脳基底核の運動コントロール回路に対するアプローチに移ります。
最終的には、高次運動野~大脳基底核~脳幹網様体の連携による、運動リズムの調節系に対するアプローチを行います。
脳卒中ニューロリハビリテーションは、これらの運動学習アプローチを、適切なタイミングで、順番に、あるいは併用して行う必要があります。
最後までお読みいただきありがとうございます。